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SAROMAN BLUE 鈴木健司

SAROMAN BLUE 鈴木健司

突然の自然気胸

2003年7月 突如見舞われた自然気胸を振り返って

自然気胸に因る突然の入院生活…
病院にて

7月24日夕方の仕事中。突然左の肩甲骨の付近が気になりだした。『あれ?なんか痛いなあ?なんだろう?』その痛みは普通にひねった時の筋肉痛のような痛みだったので、ストレッチなどをして売場に立ち続ける。だが一向に痛みは取れない。そればかりか、段々と左胸が痛くなってきた。胸の筋肉が心臓を押さえ付けるような感じだ。立っているのも辛くなり、3階の事務所で休憩。脂汗も出てきた。すごく息苦しい。だけど今日はスタッフも少なく早退できるような次状態ではない。店長も渋谷店に行くと言うし…。しかし、痛みがひどくなる一方だったので内心『救急車で運ばれるってこんな状態の事なのかなあ(苦笑い)』などと考えていた。
2階から『ちょっと忙しくなってきたので…』と応援要請が入る。苦しいながらも売場へ戻り接客へ。かなり胸が苦しい…。常に右手で左胸を押さえながら話をする。1時間くらい経つと、その痛みは段々と和らいできて背中へと移ってきた。1階と2階の移動は、激しく動くと胸の奥の方で息苦しさがあった。閉店まではなんとか我慢し、レジ締めをしてすぐに帰宅の途に付いた。しかし、駅までのほんの少しの距離を歩くのにとても息苦しかった。
電車内は比較的空いている事もあり、全く動かなかったので座れなかったが苦しさは無かった。また近所の駅からは自転車なのだが、あと家まで500m位の所から刺すような痛さが出てきて、苦しかった。また家に着いて落ち着くと痛みはおさまっていた。

華にはメールで報告していたので心配させていたが、病院嫌いの自分は『なんてことないでしょ!』と病院も行かないで済むようにしたかった。でも少し不安があったので薬剤師のノムに電話で相談。『病気の症状で、肩甲骨が痛くなったり、息苦しくなったりするかなあ?』ノムは『調べて折り返すよ』と電話を切り、5分後、『狭心症ってことは考えられないから、肋間神経痛とかかなあ?それ以上の事は分からないけどごめんね。』いやいや素人の自分達に比べてみればとても参考になる御意見でした。まあどちらにしても病院には行った方が良いと結論で・・・。実際、土日に仕事を休めるはずも無く、痛みをおして出勤。休みの月曜日にでも行ってみようということになった。

しかし月曜日からは、華の一年に一度の尾瀬添乗。尾瀬に行った事のない自分の休みと重なるなんて、滅多に無い事だから華が添乗員のツアーに参加しようと決めていたのだ。土曜日の朝になって痛みがあったら諦めると言う条件で、朝を迎えたが…やはり痛い…キャンセルで…。

そして月曜日。朝華がいつも通り会社へ出勤するのを見送り、自分は病院捜しの為インターネットで検索。背中の筋肉が痛かったりしたので、整形外科のある病院を捜す。その最中母から電話が…サロマ湖の書類が届いたよとの事。その時に胸が苦しく今日病院に行く事を告げ、夕方に自転車で行くよと電話を切った。
病院は内科・外科・整形外科のある救急病院「わかくさ病院」に決定。住所は南区太田窪、自宅からは自転車で行ける距離だから気軽に向かった。

自転車で約20分。坂の上にある「わかくさ病院」に行く途中、また息苦しさに見舞われたが無事到着。受付にて症状を伝え、いざ診察へ。診てくれたのは院長先生だった。咽を診て、聴診器、血圧と進み、『血圧が高いね。上が155はちょっと高いなあ。医者の前だからとは言え、2回とも同じ数字だからね。
そのまましばらく様子を見てと帰そうと思ったんだが、どうする?心電図とレントンゲン撮るかね?』『はぁ。』華には全部しっかりと調べてどこが悪いか調べて来なさいと言われていたので、『じゃあお願いします。』といざ検査へ。『結果もすぐに出るのでね。』と言われ、まずレントゲン室へ。年1回の健康診断の時ぐらいしか撮らないけれど、問題ないでしょ。次に初めての心電図へ。ベッドに横たわり、足の裏と胸になんだか冷たいのを張り付け、『すぐに終わりますからね。』と言われたが、本当にすぐに終わった。
待合室で待つ事5分。『鈴木健司さ~ん!』再び診察室へ。先程の医院長が座っている。第一声は『鈴木さん。良かったよ。レントゲン撮って。撮らなかったら分からなかった・・・自然気胸ですね。入院です。』言われた瞬間、気胸?なんだろうか?へ?入院???

衝撃的な一言だった。そんな検査に来ただけなのに…。ましてや華は尾瀬に添乗中。どうしよう。『とにかくこの状態ではどこの病院でも即入院だから。希望の病院があれば、そちらでもいいですが別に無ければこちらに入院と言う事でいいかな?』院長の一言でした。『今日からですか?』と、思わず聞いてしまった。『当たり前でしょう、これが進行したらもっと苦しくなってしまうんですよ。』『はぁ。』戸惑いを隠せない状態だったが、看護士の鈴木さんが隣に居て入院の為の説明を始めてくれた。『午後の3時くらいまでに来て下さい。とりあえず、1週間や10日の入院ではないので会社とかにも連絡して下さいね。』と。

帰り道華への報告はどうしようか、かなり考えた。今日のお昼に出発しているから、今の時点でメールをすればかなり心配を掛けてしまう。かといって朝『何かあったら、ホテルにでも電話してね。』と言われた。入院じゃ電話もできやしない。困った。自転車に乗りながら、まずノムへ報告。そして実家にも連絡を入れ、車で送ってもらえるようにお願いをした。時間は午後1時前、あと2時間をどのように過ごすか。まずパジャマ・下着・タオルなど必需品の用意。更に痛みがあって相談していた友人や兄などにもメールで知らせた。加えて華への連絡はまだしていないので、心配を掛けたくないから控えてほしいと加えた。

2時になると進さんと母到着。思ったよりも元気な自分にホッと胸をなで下ろした様子だった。結婚式以降会っていなかったので、出雲大社の写真や披露宴の写真などを見てもらった。そして不足しているものを下のイイズカ薬局で買い、いざ病院へ向かう。

「わかくさ病院」に着くとまずCTのレントゲン室へ。輪切りにされた。そして病室は405号室、とりあえず安静が必要で、決して急患ではない自分はナースステーションから一番離れた部屋へと案内された。相部屋は3人部屋できれいでとても病院のような重苦しさはなかった。同室の朝田・井上さんは糖尿病、同じく食事制限だけで、逆に運動しなくてはいけない中年の男性陣だった。こうして人生初の入院生活が始まった。華への連絡は母から夜に連絡してもらい、明日の再会を願った。

翌日からは早速お見舞いにやって来てくれる友人がいてありがたかった。暑い中ご苦労様でした。華は池袋の到着が夜の9時予定だったことから、その日は結局来られなかったが、電話で少しだけ話をした。

3日目の朝が来て、再度レントゲンを撮った。自然の状態で肺が膨らむようならば、そのままで安静に、膨らむ傾向が見られない場合は、胸部から針を刺して肺の内部に溜まっている空気を吸引しなくてはいけないとのこと。先日のCTやレントゲンの写真を見ながら華と共に翁先生の話を聞くと、基本的には空気を抜けば肺が膨らんできて胸膜に癒着して開いた穴が塞がればOK。膨らまなかったり、そのまま空気が漏れてしまったりするようならば手術を考えなくてはいけないと言う説明だった。とにかく「自然気胸」というものは背が高く、痩せ形の若い男性多いらしく、マラソンに因る過度の負荷とかが理由ではないらしい。今回のように突発的に起こりうるもので再発を防ぐと言うのも、気をつける事はできないのだと言う。まあケガみたいなものだし、ゆっくり休みなよとお見舞いの面々は声を掛けてくれた。結局肺が膨らんでこないので、ここからは吸引生活が始まった。
一方、3日ぶりに会えた華には、『どうして一番に知らせてくれないの!家族なんだから!』と怒られてしまった。心配を掛けたくなかったのだが、直接でも自分から電話で伝えれば良かったと、後悔した。本当にごめんね。
この日から、華は仕事の日は夜7時頃から約1時間。休みの日は午後3時から夜8時まで、ずっと一緒に居てくれた。職場に診断書を出したり、友人に経過を報告したり、実家に電話してくれたりと、細かい気配りの行動をとってくれていた。自分も洗髪しかできないので、来た時にはタオルで体を拭いてくれ、替えのパジャマを2日おきに届けてくれた。
そんな華の期待に答えたい一心でじっとしてきたが、吸引を始めて6日後の月曜日。レントゲンの状態からもほぼ100%膨らんできたので、吸引を止めて水曜日のレントゲン次第では、針を抜き退院となる方向で説明を受けた。さすがに1週間も2m×1.5mの硬いベッドの上にいるのは苦しかった。身体的には元気だったので余計に暇だった。そして今週末には退院だなあと思っていた水曜日のレントゲン結果は×。また空気が漏れて肺が潰されてしまったのだ。気持的にもショックだった。穴が大きいのかも知れないので、今回の吸引は10日間ぐらい続けるとの事。それでも漏れてしまう場合は、手術も考えなくてはと言う説明も合わせて伺った。手術をすれば同じ箇所の再発の可能性は低くなると言う。多少のリスクもあるが、確実に治った方が良い。とりあえず、この10日間の吸引で塞がればよし、漏れ続けるようならば手術と腹をくくった。このタイミングでの手術は?と聞くと、転院先の病院のスケジュールにもよるが2~3週間待たされる事もあるので…と聞いてしまうと。待っていた方がいいのかな?という結論だった。

暇な時間と言うのは過ごしているとかなり退屈だが、振り返ってみるとあっと言う間に過ぎている。まもなく3週間が過ぎようとする頃、相変わらず肺からの空気が漏れているのが分かる。その夜華と相談し、『18日の時点で、手術の手配をさいたま赤十字病院でお願いしよう。』と決めた。
翌日、華に紹介状とレントゲンを先方に持って行ってもらい、入院の手続きをお願いした。すると、うちの華はできる人です!その日の内に転院の手続きを済ませ、入院も今日から、そして来週早々には手術という手配を進めてくれました。話によると「わかくさ病院」院長の同期の先生はお休みで、自分達位の若い先生が対応してくれたらしい。華の笑顔がやたらとにこやかなので、問いただしてみると、その若い先生はカッコよかったみたいで…(ジェラシー)

そしてタクシーで「さいたま赤十字病院」へ。病室に案内され主治医の先生に会う。確かにカッコいいね。またまたジェラシー。
その日は特に検査も無く、夜まで華と過ごした。下半身のシャワーと洗髪の許可がおりたので、早速3週間分の垢を落とした。なんて気持ち良いんだ。退院したらプールにも行きたいなあ。そして月曜日8月25日に手術、その前に家族に術前説明が8月21日というスケジュールだ。
こちらに来ても病院での一日の過ごし方は変わらない。ただ、電気代が1日¥150取られると聞いてちょっとブルーに…。テレビで高校野球を観戦、夜は同じく9時の消灯だけど、11時くらいまではテレビで起きています。早く寝ると腰が痛くてたまらない。早く家でゆっくりしたい気持ちと、夏が終わる前に日射しを浴びたいって感じです。

8月21日。
午後1時から術前説明が始まった。まず、自然気胸という病気の説明から。ここで前の「わかくさ病院」で言われた事とは大きく食い違っていた事がある。それは自然気胸の再発の可能性である。向こうでは10人に1人の割合だと伺っていたのに、こちらの先生によると50%の可能性で再発すると言う。で、自分はその50%の方に入ってしまい、計3週間の吸引治療でも再発を繰り返している状態だと言う事だった。
CTやレントゲンでは破れている部分(ブラ)は見つけられないので、ごく小さいものの可能性がある。手術の方法としては内視鏡を使って傷を大きく残さないスタイルで行うが、ブラの発見が難しいようならば開胸手術に移行する事もある。状況を見ながら進めて行く。また術後は何本かの管が身体の外に出ているので、状況を見て取れる日が退院の日になると言う事で、4~5日で退院できると言う見解だ。
あわせて輸血による感染症や手術による合併症についての説明があり、肺梗塞や肺炎、エイズやB・C型肝炎などといった説明があった。このご時世病院側としても説明をしなくてはいけない部分で、輸血を必要とする程の出血がない手術である事、術後は翌日からは歩く事などが付け加えられた。説明を聞く自分は、あるべき説明だと思っていたので全く心配して無かったが、母や華はちょっと恐くなったらしい。という事で手術は8月25日月曜日、時間は午前9時から12時に決定。
翌日、手術前日に行うこと、手術当日に行うこと、手術後について、必要物品についての説明があった。初体験の事がある、浣腸だ。前日の夜に内服の下剤を飲むのだが、当日の朝、浣腸…(汗)。午前中から昼にかけて手術は終わるようだし、手術事体はあんまり気にしていないのだけど。まあ何事も経験ってことで!

金曜日に手術の方が、午後から手術室へ向かった。奥さんが3時くらいに終わると聞いていたらしいのだが戻ってきたのは5時だった。心配だろうなあ。胆石か何かで、しつこかったので粘って手術したと主治医が話していた。その方は朝から絶食だったけど、自分は朝一番の9時からの手術なので待っている時間が少なくて安心した。12時に戻ってくれば意識が回復してジッとしているのも苦しくないだろう。翌日からは歩かなくてはいけないようだし…。待っている人の方に心配掛けてしまうのが申し訳ないなあ。当日は朝から華が、午後からは母とお義母さんが来てくれるようだ。ありがとうございます。

今日は土曜日。特に検査はないようで、午後からは高校野球でも観戦しますかね。外は今年一番の暑さになるとか、みなさん御苦労様です。
今朝は昨日23時に寝た為か、6時半まで目が覚めずにゆっくりと眠れた。朝御飯の後、昨日華が持ってきてくれたサロマ湖100kmウルトラマラソンのDVDを鑑賞。ランナーズやっぱりイマイチな作りですね。内輪だけの構成に納得いきません。まあゴールシーンではみんなの姿もあったし、自分達に関してはゴールシーンも映ってたり(照)。お客さんのゼッケンを控えて覚える為にも利用したいと思います。しかし、フルの通過とゴールシーンは長い!早送りせずに眺めている人はいないだろうなあ、なんてうちの華がそうでした(笑)!

さて今日は8月24日、いよいよ明日が手術です。
今日はおへその消毒と、わき毛の処理を行なった。この後は動脈の採血があるそうです。この前は恥骨から採ったけど今回は腕のようです。おっと初めて門山先生登場!第一印象は、あごヒゲを蓄え山男のような先生だなあ。パソコンをいじっていたら『おっ、MACファンですか?』と気さくな感じだった。明日はよろしくお願いします。
動脈採血は右手の付け根部分から。押さえているのがとても痛くしばらく違和感があった。午後は「踊る大捜査線」を見て過ごした。3時過ぎにノムが来た。なんとパーマ頭で登場!なかなか似合う。差し入れのハーゲンダッツを頂き、会話が弾む。暑い中ご苦労様です。9月7日の予定を話したり、会社の愚痴を言ったりで盛り上がった。5時前まで居てくれたので、時間があっという間だった。
いよいよ明日手術。緊張していないと言えば嘘になるが、なるようにしかならないのでプラス思考で過ごしていこう。これから華がまた来てくれる。明日はまた病院に朝8時と早い。さらに今日は日曜日で『元カレ』や10時からのテレビ東京が楽しみな番組だ。早くに帰してやらないとね。でも今日は安定剤が出るんだなあ、番組後のメール交換が楽しみなんだけど、それまで寝ずに起きていられるか心配。ノムには早く寝ろと言われそうですが、だって見たいんだもん!
華を待つ間は「ポルノグラフィティ」の最近のお気に入り『元素L』で気持ちを落ち着かせる。手術中もポルノが頭の中を回っているようにね。なんて無理か…。そしてシャワーを浴びてスッキリして明日を迎えよう。でもテレビ見れなかったらスッキリなんてできないな(笑)。とりあえず華の到着まであと20分。♪知らない~人~から~特別な人に~♪いいね!『元素L』

さて今日はもう8月28日。手術からすでに3日経ちました。ここまでの間PCを開けなかったのは手術後の経過が悪かったのではなく、痛み止めを背中から投与できなかったからなのです。
それは手術当日の事。9時からの手術だったので華は8時前くらいに病院へ到着。点滴を開始して8時半には寝台車に移った。旅行の時のブルートレインの寝台車ならいいけど手術室行きなんて嫌な気分だった。気持ちを落ち着かせる為に筋肉注射、これがまた痛い。仰向けになった状態で病室を出る。同室の方に『若いからすぐ良くなるよ!頑張って!』と励まされ、出発した。
初めての経験、手術。エレベーターを上を向いたまま乗ったのも初めてだった。そして1Fの手術室へ到着。ドラマなんかのイメージでは、「手術中」という赤いランプが点灯していて、家族はその前で待っているような感じだが全くそうではなかった。大きい入口があり、華はそこまでだった。あっという間にお別れ、手術室の自動ドアは閉まってしまった。
ここからあのグリーンのエプロンをした人が集まってきた。手術台に移動し手術室へと転がされた。そして目の前には手術用の6個ぐらい付いた照明が照らされていた。周りには何人の人が居たのだろうか?やけにたくさんいるように感じた。まず始めに行なったのは背中に入れる麻酔の処置だ。これは手術用の麻酔ではなく、後の痛み止めになると前日説明されていた。背中を丸めて注射がプツリ。痛い!さらにもっと太そうな物がグイグイと背骨に刺さってくる。ビクッ!と身体が反応してしまう。『痛いです。』と告げると、背中を横にづれていきまた注射、さらにグイグイと突き刺さる。『だめだな。どうします?手術には関係ないから、全身麻酔に移っても…。』とても我慢できる痛さではなかったので、『痛すぎるのでいいです。』と言うと全身麻酔の準備に入った。吸引のマスクを充てられ、『鈴木さん、鈴木さん』の声が掛かる。5、6回返事をするも段々と返事をするのも分からなくなってきた。あっ、これが全身麻酔なんだ…。
次に気が付いたのは、病室のベッドの上だった。どのくらいの時間が過ぎたのだろうか?華・母、そして主治医の先生の声が聞こえる。なんか喋っているけど、どうでもいいやって感じではっきりは聞こえていなかった。でもなんか話さないとダメかな?と感じ、その会話に入ってみたが良く覚えていない。恐るべし全身麻酔の威力。途中華のお義母さんが来てくれた、でもちゃんと会話できた覚えがない、大丈夫かな?だんだんと意識が回復。『鈴木さん足動かして下さい!』と母が言う。わざとふざけたように足を動かしたり、手を動かしたりしてみた記憶があるがなぜそんな風にふざけたのかはわからない…(汗)。
夕方になって寝返りをうってみようとするが、背中がかなり痛い。結局寝返りはうてず、仰向けのまま過ごす。今度は胸の真ん中が痛くなってきた。『背中に痛み止めを入れていないので痛みが強いと思います。』と主治医の先生が言っていた気がした。『そうだ、手術前に痛くて入れなかったのはこの為の痛み止めか!我慢して入れれば良かった。』などと後で後悔。午後8時まで華と母は居てくれた。ありがとう。
そこから朝までは地獄だった。痛み止めとして座薬を投入したり、点滴を打ったりして頂いた。8時からぐっすり眠れたと思い看護婦さんがいろいろしている時に、時間を尋ねた。『今何時ですか?』明け方の時間にはなっているだろうと答えを期待して待ってみたら『午後9時ですよ。』がーん。ショックは10倍くらいだった。『えー、マジですか?ショック!』痛み止めの効果が表れる度に眠りに就けるのだが、その熟睡は長くは続かない。12時・3時・6時と目が覚めてしまい、当然朝起きる時はとんでもなく痛い。点滴の麻酔が一番効いているように感じたのでお願いした。
翌日華はお休みで午後一番に病院へ来てくれた。起き上がるのがとても辛くベッドを持ち上げて起き上がった。手術後と言うことでいろいろと身体にくっついている。鼻から酸素、尿道には管が、そして相変わらず左胸には針が刺さっているようだ。午後になって左胸以外は外されかなり自由の身になった。でも痛みからは解放されなかった。未だに麻酔の後遺症か、話すのがすごくだるい。華にも辛い思いをさせてしまった一日だった。終日痛み止めの薬を頂いたり、寝る前には点滴をお願いした。
前日と違い27日の朝と今朝は4時半に痛みが出てきて起きてしまった。まあゆっくり寝れたかな。今日には左胸の管も抜けると言うことで少し安心はしたが、抜くのに局部麻酔はしてくれないのかなあ?と不安を感じつつ、レントゲンと撮り、10時の回診を待つ。
主治医の同じ年の山田先生と上司の門山先生、そして華と同じ年の看護婦さん米陀さんがベッドにやってきた。『レントゲンがかなり良い状態なので、管を抜きます。』門山先生は自分の向側で、話し掛けてくる。話題はMacについてだ。門山先生の勧めで山田先生もMacを購入したらしいのだが、結局ウインドウズに乗り換えてしまったらしい。なんて会話をしながら、左脇下から管を抜く作業が続く。やっぱり痛い。きびし~い。『大きく深呼吸をして、はい吸って、吐いて。』の掛け声に大きく深呼吸。向かいの門山先生が『逆だ!吐く時に引け!吸った時じゃ取れないだろう!』と言う。『えっ、それじゃ痛いじゃん。あなたがやってよ!』と思いつつ、我慢して深呼吸を続ける。抜く瞬間が一番痛かった。脂汗でいっぱいだ。『はい、ではこれで痛いのは終わりです。チクっとしますよ。』と同時にホッチキスをガシャッとする音が響いて皮膚を挟まれた。痛い!!なんだいまのは!!あとは左胸になんかが刺さっている。『明日これは取れると思います。取れたら退院ですよ。』身体から出ているのはそれだけだ。歩いてみるとさっきまであった痛みがない。すごく新鮮だった。左手にも何も持つ必要もなく、自由に腕を動かせる。自由を感じた。これで夜は寝返りも打てるなあ。寝苦しい夜ともおさらばさ!小さな喜びだがそれさえも嬉しかった。

そして久しぶりにPCを開いて手術を振り返った。ここ3日間が一番辛かったなあ。そして明日のレントゲンと採血が良ければ晴れて退院となる。今は午後の3時前。♪あ~明日の今頃は~僕は自宅~♪であって欲しいなあ。今日は「スターウォーズ・エピソード?」を観賞。今はポルノグラフィティ三昧だ。
実は華が添乗から帰ってきた日には、池袋で待ち合わせをして久しぶりにカラオケに行く予定だった。入院してしまったのでそれもできず、1ヵ月も一人にしてしまった。明日退院できれば30日31日華は連休だ。一緒に過ごせる!会社は8月21日から9月20日まで病欠。3週間はゆっくり静養できる。この1ヵ月毎日病院に通ってくれた華にはどうやってお礼をしたら良いか?これからの時間をずっと一緒に居れるのが一番かな!誕生日も過ぎてしまったし、何かプレゼントを探しに行こう。と言うことは、この『自然気胸…突然の入院生活』の楽天アップはプレゼントを決めてからにしないといけませんな。

ということで退院は明日ですが、これにて報告は終了。もし結果が悪くて伸びちゃうようならまた書きます。そんな事が無いのを願って!では!
入院生活なんて大嫌いだ!!!!!!!

8月28日(木)PM3:01 さいたま赤十字病院にて 


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